Profile

藤原 更(フジワラ サラ)

「うつろい」を撮す表現
   
sarah01藤原更は清里フォトアートミュージアムにコレクション入りをした直後よりコマーシャル・フォトグラフの分野からアートの世界へと転身し、流気体や液体など、うつろう被写体を中心に、ストレートフォト・コラージュ・ムービーなどのヴィジュアル作品を制作している。

様々な事象のうつろいやそれらの物理的な存在の本質を、作家に刻み込まれた記憶を辿りながらフレームに落とし込む。

幼少より祖父の桃山・江戸狩野派をはじめとした作品コレクションの中で育った事が、後々の自身のアーティスティックな表現や探求に根ざしていると作家も回想するが、それは、1999年に自身が長期入院の際病床にあったにも拘らず、一眼レフを手にベッド上の患者の目線から様々な日常を撮影し、同病院にて20メートルの廊下をカラーコピーで埋め尽くす展覧会を開催した頃から徐々に具現化し始めた。

その写真群がギャラリストの目にとまり、本格的な作家活動を開始した藤原更。

記憶の断片を可視化するかのような作品群は、鑑賞者の心象風景に語りかけ幅広い層から支持を受けていると同時に、海外においても企画展やアートフェアーなどで数々の作品が紹介されている。

愛知県在住

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記憶とは面白いもので、ある大きな出来事を美化し、風化もさせ、そして矮小化もさせる。これほど主観的なシステムをゆっくり、しかし確実に操るのが「時間」だ。
芸術において、その絶対的な主観性から時間を捉え直すということは常にアーティストの大きな課題だった。
モダニズムの中に系譜として残るこの超派的テーマは、ピカソに客観的多面性を見出させ、またモネには光の流動性をキャンバスに焼きつかせた。
写真という技術もまた同様に、16世紀のカメラ・オブセキュラ誕生以降、その役割を単純な写実的・記録的要素から急速に発展させ、E. マイブリッジの[疾走する馬](1878)に代表される連続写真から映像へと進化を遂げた。

今、この[時間]というテーマの中では、写真とペインティングは同一視される傾向がある。藤原更の作品に出会った03年、如何なる文献を読みあさるより明確な、時間と記憶の相関性に対する「てがかり」を提示された。
それは、「てがかり」であり、また「過程」でもあった。

コラージュを用いたその作品は、作家の脳に蓄積された記憶のレイヤー。
ともすれば風化し、二度と汲み出される事も無く細胞と供に滅してゆくその何気ない日常。
肉眼の可視範囲、約190度(左右)といわれる視界に入る最も刹那的且つ耽美的な画角を選びとる。その集まりが、藤原更という「個」の文脈を経て、やがては観る者の記憶へと働きかける。主に有機体をモチーフに撮り続ける藤原のシューティング(撮影)・スタンスは、自らの断片をそのモティーフに投影し、記憶に蓄積される過程を可視化する一つの手段なのか。その主体的な記憶は、なぜ作品として他の者にも共有・共感され続けるのか。自問自答の中で、いつしか私も自分の記憶の確認作業に入っている・・

曖昧なものを曖昧なままに撮ることで、万象の姿をイメージ化された記憶として描き出し、それが時に記憶の庭となり、家となる。
一瞬しか無い「今」、恒久性を持つ「記憶」。この関係性を模索する藤原更にとってコマーシャルフォトでの経験は、人為的なコンポジションと偶発的要素を自身のフィルターにかける上で欠かせないエッジかもしれない。「シャッターが重い」と語る藤原の言葉は、その均衡過程の葛藤を体現している。多面性を持ち合わせる多くの藤原作品は観るたびにその表情を変え、鑑賞者自身の心象風景への「てがかり」となる。
究極を言うならば、観たいものだけを観て、聞きたいものだけを聞く人間の淘汰的習性は医学・心理学的には[スコトマ](視界の暗部)として知られているが、撮影・現像・制作全ての過程において、藤原が無意識にも挑戦し続ける絶対的な均衡が、まさに心理と直結した人間の[スコトマ]なのだろう。
いずれにしても、作家のテーマ性は撮り続ける事で立証されてゆくものである以上、観衆は今後の展覧会一つ一つを直視・または斜視しながらも見続けなくてはならないが、同時に間近でそれを観察出来る事に大きな喜びを感じているのも事実である。藤原作品は作家本人を映し出す鏡であるが、鑑賞者を映す鏡でもあるわけだから。

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